デロリアンDMC-12を一躍有名にしたキッカケは、1985年に公開された「バック・トゥ・ザ・フーチャー」の影響だろう。しかし、それ以前からこのクルマは、その生産までの歴史から多くのクルマ好きに知られていた。
ちなみに「デロリアン」は会社名で、正式名称は「DMC-12」だ。しかし、製造された車種が一種類しかないので「デロリアン」と呼ばれている。こちらの方が一般的だ。
オーナーであるジェオフ、オンバオさんが所有するのは、1982年製デロリアンDMC-12。
ひとたび、このクルマで外に出かけると、街行く人がまるでサンタクロースの格好をしたおじさんが、アイスクリーム販売車を運転しているかのように大注目される。
このクルマがサンタのアイスクリームトラックより注目される要因は、ボディがステンレススチールで出来ている事、特別なクルマだと認識される、大きく縦開きするガルウィングドア、そして何より「バック・トゥ・ザ・フーチャー」でタイムマシーンとして使用された事が一番影響しているからだろう。
しかしオーナーのオンバオさんは、このクルマの生産時期が極端に短く、色々とお騒がせな歴史的背景が有った事が一番注目すべき点だと考えている。
1970年代、アメリカのゼネラルモーターズがマッスルカー製造に総力を上げていた時期に、当時副社長であったジョン・ザッカリー・デロリアンが、理想の車を作るために本社デトロイトのセキュリティーを突破し(辞職し)独立。4年間の構想の末、遂に北アイルランドに彼の理想を体現する製造工場を立ち上げ、夢が現実の物となった。それがデロリアン・モーター・カンパニー(Delorean Motor Company Ltd. 、DMC)だ。
出来上がった「DMC-12」はプジョー、ルノー、ボルボが共同開発した
V型6気筒SOHC2849cc汎用エンジンを搭載。
その最高出力は僅か130馬力。それでいて車重は1250kgだから、そのパワー・ウエイト・レシオはスポーツカーとは言えず、足回りもロータスが設計した前時代の物であり、とても他のスポーツカーと戦えるような代物ではなかった。
1985年、世界的なスーパースター、マイケル・J・フォックス主演の「バック・トゥ・ザ・フーチャー」が成功したおかげで、最終的にDMC-12は素晴らしい結果を残したと言える。
そして不幸な事に、1982年10月19日。社長のジョン・デロリアンがコカイン所持容疑で逮捕されるスキャンダルが発生したことにより、会社の信用はがた落ち。最終的に資金繰りが立ち行かなくなり、倒産する事となった。
オンバオさんは、DMC-12のデザイン憧れ、彼は好きなカーデザインに没頭する為に、会社を辞めてまでして、カリフォルニア南部のパサディナ市にある、自動車デザイン専門学校に入学した。
彼はDMC-12のストーリーが、カーデザインの歴史に置いても重要な遺産を残したと考えている。
このクルマは何と言ってもデザインの勝利と言えるだろう、決して速いとは言えない性能であったが、ステンレススチールボディや、美しいボディシェイプ。それらが、ただシンプルで美しい見た目であり、34年経った今でも、DMC-12は非常に未来的なデザインに感じる。
時にはパワステがないせいで、パーキングエリアなどでは少し重たく感じ、多少不便な所もあるのだが、一旦クルマが動き出すと、ステアリングから多くのロードインフォメーションを感じる事が出来る。
デロリアンはもともとが欠陥だらけのポンコツ車で、工場出荷状態では日常の足にはなり得ない。5速MTは良かったが、3速オートマは不具合が出やすく致命的。しっかり対策されたものでないと、まともに動かないケースがほとんど。
しかしこのウィークポイントをしっかりと押さえて、治すべき所にお金をつぎ込んで修理した為、32年経った今でも信頼性は抜群、それほど極端に高額な維持費ではなのだとか。
美しいエンジンルーム。とても32年も経過しているとは思えない。
カリフォルニア週ロサンゼルスの夜道を元気に走る、デロリアンの姿を是非自分の目で確かめてほしい。1080Pの最高画質で観覧するのがオススメだ。
ちなみに、デロリアンの燃費は実測で約6km/リッターだとか。
しかし、30年以上前の2.8リッターV6エンジン搭載車として考えれば、決して悪い数字というわけでもないかと…..
見た目だけが美しく、その中身のエンジンや設計が全く”スーパーカー” ではなく、普通過ぎた事が、後々維持するという点で大きなメリットになったのは、何とも皮肉な話だなぁ…
以下ネットの反応