【旧車】台湾で2代目トヨタ・マークII X20型が発見される!

60年代のアメリカンマッスルカーを彷彿とさせる、グラマスなボディーが魅力的な2代目トヨタ,マーク2。元々古いクルマなのに加えて生産台数がそれほど多くない。そんなクルマの左ハンドルモデルがお隣台湾で生きていた!

発見された2代目マーク2
台湾の古い家は基本的に横の家とくっ付いている長屋が多く、ここもそのような作りになっていますね。

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2ドアタイプという事はX20型の2000GSS。エンジンはDOHC18R型、2.0Lで最高出力は当時としてもかなりホットな140HP

かなり年期の入ったホイールだ。

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中華民国(台湾)アマチュア無線促進協会と書いてある。

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流石にボディは歳相応といったところだろうか。常夏の日差しが降り注ぐ南国台湾だから仕方ない?

ナンバーは既に切れており、公道を走る事は出来ない。でも台湾でナンバー付いてない車両が普通に走ってたのを何度も目撃しているので、割と夜中とかに走れるかも..(ダメ

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左ハンドルの2ドア車、日本でも珍しい車なのにお隣台湾で生存しているのは、なんだか嬉しくなりますね〜

ソース:7car

トヨペット、コロナ、マーク2

1972年1月に発売した2代目。スタイリングを先代とは大きく変え、4ドアセダンはセミファストバックに、ハードトップはファストバックへと変貌した。ボデー形式は4ドアセダン、2ドアハードトップ、ワゴン、4ドアバンの4種でピックアップは旧型を継続生産。

2代目の大きな特徴は、4気筒エンジン搭載車に加え、新たに6気筒を搭載した“L”シリーズを設定したこと。4気筒モデルのフロント部分を延長し、クラウン用の直列6気筒SOHC2000cc(M)を搭載し、ボデー前後は専用デザインとした。4気筒モデルのパワーユニットは先代から引き継いだ1.7リッター(6R)と、先代の1.9リッターの排気量を増やした2リッター(18R)の2種。

機構面では、リヤサスペンションをリーフ/リジッドからラテラルロッド付4リンク/コイルとした。2代目は、排ガス対策と省燃費の観点からの変更を織り込んだ。1975年10月には2000DOHC(18R-G)を除く2リッターユニットが4気筒、6気筒ともに「50年(1975年)排ガス規制」に適合し、18R-G搭載のGSSは生産を終えた。翌1976年6月に4気筒2000(18R-U)が「51年(1976年)規制」をクリアした。

ソース:トヨタ自動車75年史 

マーク2のCMも見つけたので掲載しておく。

以下ネットのコメント

Yoshi genji
父がこの車(ハードトップでこのコマーシャルの色)に乗っていて、その後、大学時代の私が譲り受けました。
オートマチックだけど、パワステはなし。ステレオは8トラックなど、その時代らしい装備を思い出します。
いま改めて見ると当時のアメリカ車風で、なかなかいい車です。ホント、懐かしいです。
subaru0920
このマークⅡには6気筒と4気筒があった。その4気筒モデルのセダンに父が乗っていたのだが、最初は好きじゃなかった。しかしウルトラマンAのTACCの車両として登場したら一転して大好きになった。カセットテープのステレオやエアコンが装着された父のクルマに自動車の進歩を感じた。因みに6気筒のグレードは最高級のLGからLまでで4気筒はGSLからDX(最終的にはSTD)まであった。Aに登場するのは4気筒ツインカムのGSSで生まれて初めて欲しい気持ちになったが創刊号の「間違いだらけ・・・」での酷評には驚いた。
MrBEAR55100
父親の友人が昔このMX-10マークIIの2000Lハードトップに乗っていました。
1975-76年のことですが、M型シングルキャブ未対策エンジンは静粛な反面レスポンスがさほど鋭い方ではなくスピードが乗るまで一定レベルの時間がかかり、絶対的な速さでは父親が乗っていた1975年製日産ブルーバードU1600GL/4速とさほど大差ないように感じたものです―時に小生5歳、幼稚園年長組の思い出です。
さてこの二代目マークIIって、セダンはGMシボレーマリブを、ハードトップはフォードトリノを想起させてくれその見事な「アメ車の赤ちゃん」ぶりに世相を呼び起こさせてくれると思います。
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